わたしを伝える記録

身近な人の死をどう乗り越えるか──祖母との別れで感じた悲嘆のプロセス

こんにちは。
心理カウンセラーの矢菅まゆです。

 

少し久しぶりの更新になります。

今日は、
これまでとは異なるテーマで書いてみたいと思います。

祖母の死をきっかけに思い出した「悲嘆のプロセス」

先日、
8月11日の夜に、
遠方に住む父方の祖母(98歳)が亡くなりました。

本来であれば、
その5日後に祖母の家へ泊まる予定でした。

けれども、
そのまま葬儀へと変わってしまいました。

葬儀などを終えて関東へ戻ってきたとき、
ふと思い出したのです。。

 

「そういえば、
身近な人の死を乗り越えるプロセスについて、
どこかで読んだことがあったな。

あのプロセスの名前は何だっただろう。

もう一度確認して、
祖母の死を受け入れる手がかりにしたい。」

 

そう思い立ち、
「身近な人の死を乗り越えるプロセス」
と検索しました。

 

このブログでは、
私自身の経験を交えながら、
そのプロセスについて紹介していきます。

 

これまで私は心理カウンセラーとして、
キャリアのことや働くことにまつわる
悩みを中心に発信してきました。

そのため今回のことをここに書くかどうか、
正直迷いました。

けれど、
文字に起こすことこそが、

私自身が祖母の死を受け入れていくことに
つながると思い、
このブログで発信させていただきます。

グリーフ(悲嘆)とそのプロセス

皆さんは「グリーフ」という言葉を
耳にしたことはあるでしょうか。

日本語では「悲嘆」と訳され、
大切な人を失ったときに感じる深い悲しみや、
それに伴うさまざまな心の反応を指します。

身近な人との別れを経験すると、

・ショックで頭が真っ白になったり
・現実を受け入れられなかったり
・怒りや後悔、孤独感でいっぱいになったり

することがあります。

こうした反応は異常ではなく、
むしろ自然な心の働きだと言われています。

※詳しい解説はこちら
https://www.grief-care.org/about.html

悲嘆の中で起きる心の動きは
人それぞれですが、
これまで「悲嘆のプロセス」
として整理されてきました。

そのひとつが、
アルフォンス・デーケン氏による
「悲嘆の12段階」です。

※すべての人が必ずこの順序をたどるわけではなく、
行ったり来たりすることもあります。

悲嘆の12段階(アルフォンス・デーケン)

1.精神的打撃と麻痺状態
大切な人の死に直面し、頭が真っ白になったような衝撃を受ける段階。

2.否認
死を認められず、否定してしまう段階。
突然死の場合は、否認が顕著に表れる。

3.パニック
死を確信するが、否定したい感情が合わさり、パニックとなる段階。

4.怒りと不当感
「なぜ自分がこんな目に」と理不尽さを感じ、怒りが湧き上がる段階。

5.敵意とうらみ
周囲の人や故人に対して、やり場のない感情を敵意という形でぶつける段階。

6.罪意識
「もっとこうしてあげればよかった」と自分を責める段階。

7.空想形成・幻想
故人がまだ生きているかのように思いこみ、実生活でもそのようにふるまう段階。

8.孤独感と抑うつ
葬儀などが一段落し、途端に寂しさが募る段階。

9.精神的混乱とアパシー(無気力)
生活目標を見失い、どうしていいか分からず、関心を失う段階。

10.あきらめ‐受容
自分の置かれた状況を受け入れ、つらい現実に向き合おうと努力が始まる段階。

11.新しい希望‐ユーモアと笑いの再発見
こわばっていた顔に、微笑みが戻り始める段階。

12.立ち直り‐新しいアイデンティティの誕生
立ち直りの段階。
悲嘆のプロセスを経て、新たなアイデンティティを獲得する。

このように整理されることで、
「自分はいまどの段階にいるのか」
を理解したり、

「これは自然な流れなんだ」
と安心することができます。

私が経験したプロセス

悲嘆のプロセスは、
人によって歩み方も順序も異なります。

私の場合はざっくりいうと、
1・2・6・8の段階を経験し、
今は10の段階の過程にいると感じています。

ここでは特に印象的だった2の段階と
10の段階の体験について、
少し書いてみたいと思います。

第2段階:否認

祖母が安置されている葬儀場へ行きました。

棺のそばには、
見覚えのある祖母の遺影が飾られていました。

けれども、
棺の中にいた祖母は厚化粧をされていて、
まるで蝋人形のよう。

遺影の中の祖母と、
目の前の祖母との差が大きく、
棺の中にいるのが本当に祖母なのかどうか、
頭が混乱していました。

棺の中の祖母は、
見覚えのある服を着ていました。

「ああ、やっぱり祖母なのだ」
と思う一方で、

厚化粧をされた顔は蝋人形のようでリアリティがなく、
受け止めきれない気持ちが続いていました。

棺や葬儀場の装飾は
「これは現実なのだ」
と突きつけてきます。

それでも、
私はますます現実を
信じられなくなりました。

そのときの私は、
まさに「否認」という段階の
ただ中にいたのだと思います。

第10段階:受容

今こうして、
自分の思いや体験を書いていることそのものが、
祖母の死を少しずつ受け入れていくことに
つながっていると感じます。

受容とは、
突然「納得する」ものではなく、

こうして一つひとつ言葉にしながら、
少しずつ心に落とし込んでいく
プロセスなのだと感じています。

家族の姿を見て思ったこと

祖母の葬儀などで祖母宅にいた間、
私は孫という立場で過ごしていました。

その一方で、
祖母の子どもである父や叔母は、
大人として現実的な対応に追われていました。

葬儀の手配やお金のこと、
家の中の書類整理、
祖母が契約していた各種サービスの解約──。

次から次へとやらなければならないことが押し寄せ、
悲しみに浸る時間は
あまりなかったのではないかと感じています。

私自身も祖母を亡くした悲しみはありますが、
父や叔母と比べると
「喪主側の責任」は背負っておらず、
思い出の総量も異なるでしょう。

 

だからこそ、
彼らが本当に自分の気持ちを
吐き出すことができているか、

あとからふとした瞬間に
寂しさが押し寄せるのではないか──

そんなふうに、
少し心配になりました。

 

あとから寂しさや悲嘆が
押し寄せたときに必要になってくるのが、
「グリーフケア」という援助です。

グリーフケアとは、
グリーフ(悲嘆)反応が起こっている人の
気持ちに寄り添い、
悲しみを癒すサポートをすることです。

 

「誰かに話す」
「涙を流す」
「思い出を語る」
「お別れの儀式を用意する」

──どれも立派なケアになります。

湧き上がる感情を否定せず、
安心して思いを吐き出せることが、
また顔を上げて生きていく力につながるのだと思います。

さいごに──あなたへ

今こうして、
自分の思いや体験を書くということそのものが、
私にとって受容のプロセスに
なっていると感じています。

 

もし今、
大切な人を失った
悲しみの中にいる方がいたら──。

「今私は、
こういうステップのさなかにいるのか」
と知ることで、

ほんの少しだけでも安心して、
悲しみに向き合うことができるかもしれません。

そして、
これからその局面を迎える方にとっても、
「悲嘆にはプロセスがある」
と知っているだけで、
心の準備が少し違ってくると思います。

 

この記事が、
あなたの心のどこかに残って、
いつか支えになる瞬間があれば、
これほど嬉しいことはありません。

 

※今回の出来事について、
noteでも記載しています。

このnoteでは
「祖母との出来事と私の感情」
に主軸をおいています。

良かったらこちらも併せて読んでみてください。

 

心理カウンセラー
矢菅まゆ